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静かな日々~山と日常と


by garakutaparadise

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田舎の高校生のクライミング

平山ユージ氏が当時、池袋の秀山荘で働いていた
檜谷氏に声を掛けられてフリークライミングを始めたのは有名な話です。
R&S誌50号の座談会でも檜谷氏の事が取り上げられています。
実は自分にもそれと同じ経験がありました。

昨日、私の小学生時代のつまらない話をUPしましたが、
山の事はすっかり忘れた中学時代が終わって高校生になった私。
この年、TVで南米ギニア高地の落差1,000mの滝 エンゼルフォールを
日本のチームが登る(尊敬する倉岡裕之氏が参加)という番組を観ました。
(つい先日もTVでこの滝とテーブルマウンテンを紹介していました)
これで忘れていた山への憧れが再燃。
もうあの入門書を読む歳ではなくなってしまいましたが、
また例の岩場に行く様になりました。

さて、この時代80年代前半はバーカーショックの数年後フリークライミングという
登攀スタイルが全国に大きな広がりを見せます。
しかし、それはもっぱら都市周辺や元々山をやっている人の間での話であり、
ど田舎の高校生はそんな登山界の動向など知る由もありません。
しかし、TVや当時創刊されたBE-PAL誌(当時は真面目なアウトドア誌で、
私の高校時代の情報源でした)の広告、またはこの頃になってやっとその存在を知った
山と渓谷誌によって、フラットソールやチョークバックを使ってフリーで岩場を登るスタイル
がある事を理解します。

とりあえず、これなら自分にも真似する位なら~ってことで、
体育の先生に頼んでライン引きのチョークを少しもらって、靴は当然フラットソールなんて
売っていないのでコンバースのハイカット(何となくフィーレとかEBに似てたから)。
これでボルダリングの真似事を始めました。
知り合いの人が東京に行った際に登山用品店のカタログを貰って来てくれて
(今思うとICIの毎年出るやつと、ZERO POINT=モンベルは先鋭的なクライミングギヤ
メーカーでした)、道具の知識がちょっとだけ増えました。
試験で地方都市に出向いた際に、泣け無しのお小遣いでカラビナ3枚とスリングを2本程
購入した記憶があります。
そしてロープは何も知らない田舎者の高校生を不憫に思ったのか、
お店のお兄さんが10mm×20m位の半端物を1,500円で売ってくれました。
ハーネスは無いので腰にブーリンで固定。
なんとも危なっかしいシステムです。
でもこれで下降の練習みたいな事が可能になって自分的にはとても嬉しかったです。

その内、別の場所にも岩場がある事を発見。
ここは人口登攀時代に登った方がいて、残置ピトンやボルトが有りました。
越沢バットレスを少し小さくした感じの2Pの岩場です。
1ピッチ目は寝ていてフリーで終了点の残置リングボルトまで登れるのですが、
その先はずっとハングした壁が続いています。
リスにそってハーケンが打ってありますが、アブミを持っていない私はスリングの架け替え。
おまけに実質フリーソロです。体重を掛けたハーケンは僅かに動いています(汗)
それでも3本目位まで乗り込みましたがそこでギブアップ@当たり前
この登攀??は私のクライミング人生で最もハートの試されるものでした(笑)

そんな高校生活も冬になって、お年玉が入った私は電車に乗って東京に行ってみる
事を決意します(大げさ)。
秋葉原とか新宿とか色々回って、夕方冒頭の池袋 秀山荘に行きました。
クライミングコーナーを見ているといかにも山男然とした店員さんが、
「岩登りに興味があるのかい?」と聞いてきました。
小心者の私は自分のなんちゃって登攀システムとか、コンバースを履いてのボルダリングを
説明するのが恥ずかしくて、この折角のチャンスになにも質問する事が出来ませんでした。
しかし、カラビナは使用目的に合わせてこういうのが必要とか、一人20枚位あると良いねとか
親切に教えてくれました。
その後は、お店にぶら下げたフィンガーボードで指懸垂をしていて、
それを感心してみていると、自分も練習すれば出来るようになるよと。

あの時の店員さんが檜谷さんだと知るのはずっと後の事です。
もし、あの時自分の現状を勇気を出して話していればと今でも思います。
平山氏のようにそれを切っ掛けに~というのは無理でも、
せめてちゃんとした指導者の講習会みたいなものに一度で良いから参加させて
あげたかったと16才の自分に対して思います。
それ程、自分の周りには山もそれをやっている人も皆無でした。
ただ、才能というのはどんな角度からでも出てくるというのも事実です。
もし、同じ状況に育ったとしても平山氏なら何とかしただろうと思うのです。
それを考えると、やはり最終的に状況を変えるのは人間性なのでしょうね。
自分にはそれが無かったということで。

結局、もう一度あのハングにトライする事はなく、
私の高校生活は終わってしまいました。
そして、次に山と関わるようになるのは卒業後、5年以上経ってからでした。
by garakutaparadise | 2011-03-30 09:09 | 登山